みなさま、ごきげんいかが
北大路アオアザでございます
昨日から一気に寒くなり
朝晩の北区は時雨れております
おおさむ
こんな寒いのに今日はうっかり自転車で来てもうた
編集長曰く「珍しくて雪が降る」
今年ももう終わりですが、自転車通勤は今年3回目くらいかな
電動自転車が泣いてるよね、泣かせとこ
さて、新刊ぞくぞくできてます
『鬼の眼 土門拳の仕事』
そうです、あの、土門拳
ええ、あの、巨匠です
黒赤のインパクトある表紙カバーと帯
この少女の表情がまたなんとも
416頁とボリューミー
編集はO先輩です
こちらも約1年がかり
写真を選ぶとき、たいそう大変そうでしたなあ
どれもこれも、よくって
落しがたくって
だからってページ増やしすぎでない?
スーパーだったら特売レベル
お待ちかねの中身はといいますと
戦中の沖縄の写真
沖縄好きとしては外せない
独特の髪の結い方
昭和11年
浅草の大衆食堂
活気がありますな
京極スタンド行きたくなる
同じく昭和11年 浅草
夜店をひやかす男女のうしろすがた
しっとりしたはりますなぁ
これだけで相当な親密度合いが伺える
ええな
ええなあ
デートしたい
昭和12年
街頭で千人針をしているご婦人たち
次第に戦争の色が濃くなりはじめました
昭和13年
赤十字看護婦
この清くて美しいお顔
看護服を身に着けて矢を射るという
ただごとならぬ情景
あらためて戦争のむごさを思い知る
昭和19年
予科練の若者
同期生に散髪をしてもらう
この笑顔
このあと特攻隊にいくであろうに
ほんとう、胸が痛い
ヒロシマの章
見る写真見る写真、胸が張り裂ける思い
ここには載せません
でもぜひ、見てください
編集の際、O先輩が土門拳の著書を読み漁っておりました
土門拳は写真はもとより、文章もすばらしいのです
帯の文言も、著書より抜粋
本文中にも抜粋しているものがいくつかあります
ヒロシマの文章
まだ『京都手帖』の編集でバタバタしていたころ
「忙しいとは思うけど、ちょっとここだけ読んでみて」
と手渡された本
原爆の後遺症で亡くなる子の話
読み手がその光景を目の前で見ているかのように錯覚させる筆力
泣きました
言わずもがな
嗚咽レベル
しかも二度読み
忙しいって言うのに
それくらい惹きつけられる文章でした
でもこの本の中には引用してません
泣きすぎて無理でした
ご興味のある方はO先輩までご連絡を
街角に立つ傷痍軍人
戦後にはこんな光景がよく見られたんですかね
左頁の構図が、やっぱりスゴイ
昭和27年 銀座
そしてこんなお子たちもたくさんいたんでしょうな
子を持つ者として何とも苦しい
昭和28年 新橋
いつの時代もお父さんが酔っ払う街
昭和28年 丸の内
いやこの橋、どうなってんの
そしてお姉さんがた、
ここ絶対手をつないだらあかん場所よ!
何かと風雲たけし城レベル
昭和28年 伊豆のお子たち
左のお子のキャプション「わんぱく小僧」
うん、間違いなくわんぱくだ
鼻の頭のずるむけ方ったら
豪快なんだから
昭和28年 東京
おしくらまんじゅうをするお子たち
みんないい笑顔
ほっとする
昭和27年 福島
ぷくぷく感がたまらん…
ほっぺたが落ちているじゃないか
そして、あの、オマタの間のやつ…なんすか…
そんな忠実に手編みのズボン編みますかね
昭和34年 筑豊の子どもたち
お弁当の時間ですが、お弁当を持っていない子も
このお子たちの時間のつぶし方にも胸がきゅうとなるし
持たせられなかった親の気持ちを考えてもきゅうとなる
有名人のポートレート
吉行淳之介が男前
永井荷風が色男
これまでモノクロページばかりでしたが
カラーページもありますよ
古寺巡礼より
奈良の唐招提寺
千手観音立像
ここだけを切り取るって感性
被写体とじっくり対峙したのちに撮れるものなのでしょうね
京都・神護寺
薬師如来立像の足元
そうです、先日O先輩とかわらけ投げをした神護寺です
この掲載のお願いのため伺ったのでした
鳥取の三仏寺
投入堂です
どうやって建てたのか
見れば見るほどわからない
投入れられたと言われても
そうかもしれないと思える
現在は、地震の影響で登山参拝不可とのこと
そんな投入堂の秘仏
「こらー!カツオー!」的ありがたき仏像
とにかくとにかく写真満載
これも「無理。立ち読み無理」てなることでしょうから
潔くレジへお並びあそばせ
amazonでも買えまっせ☆ → 『鬼の眼 土門拳の仕事』
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